【公式】強首温泉 樅峰苑|大正ロマンの香り漂う、登録有形文化財の宿

お電話でのご予約・お問い合わせ

0187-77-2116

MENU

CLOSE

匠の技が息づく、日本建築の
至室を造りあげた歴史

空室検索

チェックイン日
泊数
部屋数
人数

歴史を通じて地域に貢献した小山田家

秋田における小山田家の歴史は、慶長7(1602)年、初代秋田藩主となる佐竹義宣公が常陸国水戸から出羽国秋田に移封された当時、藩主を慕って秋田の地に移った頃にさかのぼります。
当初は西木村小山田地区に居住していたものの、やがて開田や水運の便を考え当時の強首村に移住したものと伝えられています。
その後は、藩政前期(17世紀後半)頃から村の庄屋として、また、他領との境を守る拠人(こにん)として、当時の地域行政の中心的役割を果たすと共に、藩主や藩重役の領内巡視の際は御本陣を務めました。
以後、小山田家は強首田圃などの美田を開くなど地域一帯の開発にも尽力し、明治期から昭和に至っては歴代当主がそれぞれ代議士や県議員を務め、国政や秋田県政にも参画。三百数十年におよぶ長い歴史は現在に受け継がれています。

建主の一徹なこだわりと、それに応えた匠の技

現在の建物は大正6年(1917)に完成したもの。当時の12代当主・小山田治右衛門は、その3年前に甚大な被害を出した「強首地震」での教訓から、建築にあたって耐震性を重視し、当時の宮大工であり匠長であった井上喜代松を1年間京都に派遣し、耐震技術を習得させました。その結果、屋根裏までつながる太い柱や、梁と柱を結ぶ木組みの筋交いを入れるなど念入りな耐震構造が取り入れられることになりました。
また、2階部分は「地組み」という工法で建築されています。これは、あらかじめ2階部分を地面で組み立て、いったん解体し1階部分が完成してからその上に2階を組み上げるというもので、手間をかけた精巧な工法で建築の誤差を解消しています。

あくなき理想の追求

現在の樅峰苑の施主であった12代当主・小山田治右衛門は、建築にあたって頑なに自らの理想を追求しました。1軒の家を建てるために技術者の長を1年間京都に派遣したことなども、そのひとつのあらわれですが、治右衛門のこだわりが徒に軽佻浮薄な装飾に走ることなく、あくまでも実質に重きを置いたものであったことは特筆されるべきです。

建物の随所に施された、こだわりの技法

外観では社寺建築を思わせる千鳥破風と入母屋造り、唐破風を採用した屋根が特徴。
建築法はもとより、建材も希少な材を所有地より調達するなど、いたるところに建主の確かな思想と磨き抜かれた匠の技を活かし、3年の建築期間を経て完成した樅峰苑は、現代にいたるまでその豪壮な姿を守り、建物自体がもはや価値あるアンティークとなっています。

樅峰苑の由来

この地に居を構えた当時に植え付けられた5本の樅の木が当苑の庭に聳えています。堂々としたその姿は樹齢およそ380年以上を数え、かつての庄屋の旗印ともなっていました。秋田県内においても、これほどの樅の木がひとつの所にまとまっているのは極めて珍しく、歴史を物語る貴重なものであり、大仙市の天然記念物に指定されています。この樅の木は今も当苑のシンボルとなっており、「樅峰苑」の名称もそれに由来したものとなっています。

第28回プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選 選考審査員特別賞受賞

規模が小さいことなどから100選の対象にはならなかったものの、選考審査委員会が特別推薦に値する宿として全国から10軒の小規模和風の宿を選出するもので、2003年1月、当「強首 樅峰苑」が庄屋屋敷を利用した文化財建物の宿として選出されました。

プラン一覧・ご予約